@ViribvsVnitis
大覺臣ツツジ @ViribvsVnitis

6周年おめでとうございます!この6年間、いろんなことがありました。次の6年間の樋口楓はどのようになるのか、とてもワクワクしています。
#文芸
「五年を経て、六年目を迎えるなんて。思ってもみなかったでしょう?」
 ベッドにうつ伏せになったまぶたを開けて寝返りを打つと、枕元に立つ「ジブン」がいた。ジブンは高校の制服を身に付けていて、その表情はどこかまだ幼さが残っているような気がした。
「うん、まさか六年も続くなんてね」
「六年目が折り返しって、悲しいことを言うなと言われていたやろ?わたしは半年で終わるって思っていたから、かなり感慨深く感じたよ」
 私はまどろんでいた意識を急速に覚醒させ、うつ伏せの身体をゆっくりと起こす。ベッドのスプリングが軋む。暗い部屋の中で、枕元のジブンはまるでスポットライトに照らされているかのように光り、闇の中に浮かんでいた。
「この六年間、気づけばあっという間やったよ」
「そうみたいだね」
 高校の制服を着たジブンは、私の隣に腰掛ける。マットレスがやや少し、揺れる。
「でも、密度は高かったでしょう?」
 アメジストのように輝く紫色の瞳が私を見つめる。その大きな瞳に反射する自分の姿は、隣に腰掛けるジブンと同じだけれども、すこし年をとっているように見える。
「うん、密度は高かった。八人が二十人に、そして百人以上に。でも、八人は七人になった」
 隣に腰掛けるジブンの奥に、ゆらゆらと景色が浮かびあがった気がした。そこには、美兎ちゃんや凛先輩、えるえるやモイラ様、アキ君、ハジメさんがいて、そしてちひろもいた。七人は一つの鍋を囲んで何か話している。
「あそこには七人いる、わたし以外の七人」
 樋口楓以外の一期生七人が、鍋を囲んで楽しく話している。しばらく見つめていると、不意にちひろがすっくと立ちあがり、他の六人に一言、二言話しかけてどこかへと消えていった。
「悲しかったけど、でもわたしは元々半年でいなくなる予定やったやろ?」
「そうだね」
 まばたきをすると、遠くの一期生七人の姿は消えた。そして、隣に座っているジブンの服装も変わっていた。これは、焦茶先生に仕立ててもらった一番最初の衣装だ。初のソロライブで、にじさんじにとっても初めてのライブになったKANADEROのキービジュアルの衣装。
「にじさんじの仲間も、何人も新しい場所へ旅立って行った」
「全部で確か四十余人」
「いまもいるのは全部で何人?」
「たしか……百五十人くらい」
「かもね。もしくは、もっとかも」
 銀色のロングヘアが鈍く煌めく。
 いつの間にか私は寝室ではなく、大阪湾岸のライブ会場にいた。視界にはオレンジ色のサイリウムが浜辺に何度も打ち寄せる波のように揺れる。
「このライブが始まりやった」
「うん、わたしもそう思う」
 もともとストリーマーになる予定はなかった。それこそ、本当に半年間の短期バイトのような心づもりで始めた仕事だった。学校帰りの昼下がりにスマホ一つで、ベッドに寝そべりながら配信をしていた程度には気楽だった。それが、どんどん凄い人たちが入ってきた。私たちの直接的なフォロワーだった二期生の後に、ゲーム特化のゲーマーズや、芸に秀でたSEEDsが入ってきた。驚嘆、焦り、そして諦観。目まぐるしい感情が目まぐるしく思い起こされる。
「もう五年以上前になるのか」
「普通に歳をとる女子高生だったら、もう二十二歳か二十三歳だね」
 二十二歳。それは大学卒業の年齢。そして、かつてコロナ渦がはじまったばかりの三年半ほど前に私の人生に、配信に少しだけ顔を覗かせた「あり得たかもしれない私」の年齢だ。
「──ひさしぶり、そっちは順調?」
 背後から声が聴こえた。私は驚き、勢いよく振り向く。そこには銀色の短く切り揃えた髪の毛の、ジブンがいた。
「二十二歳の私……」
 思わずシーツを握り締める。それは、あったかもしれない可能性だ。そして、かつて実際に存在した過去でもある。ライバーデビューをしなかった、あるいはする前の私の無気力、諦観、ありとあらゆる感情を身に纏った二十二歳のジブン。
 いろいろなことを思い出して心臓の鼓動が速まる。あの配信をしようと思った経緯、あの配信とともに封をした想い。気づけば私のことを気遣ってか、隣に座っているジブンが手を握り締めてくれていた。
 二十二歳のジブンは、じっと私のことを見つめている。口元を見遣れば、何かを言いたそうに少し開いて固まっている。そのローズのリップが塗られた唇からは、いったいどういう言葉が発せられるのか。切り捨てたジブンの可能性が何を私に言い放つのか。鼓動はどんどん高まり、耳鳴りまでもがキーンと響く。
「なあ、おなかすいた!」
 痛いほどに張り詰めた意識を、まるで薄氷を割るかのように打ち崩したのは幼い声だった。そう、とても幼い声だ。
「──カエデ」
 ファンメイドから産み落とされた小さなジブン。子供のころの無邪気や無頼感をそのままタイムカプセルに閉じ込めたかのような存在。それにしたって小さな生き物。まるでポケモン。
「なあ、なんかつくってや」
 カエデは暗闇からぽてぽてと駆け寄ってくると、私の脚にしがみついてきた。そして、よじのぼってくる。パジャマを着た膝に、もちもちとした感触が伝わる。猫の足とも異なる、不思議な感覚。
「……カエデ、たぶんそのワタシは料理はできひんで」
「わたしもそう思うわ」
 二十二歳のジブンと、隣に座ったジブンが私の膝の上のカエデに優しく語り掛ける。
「えっ、そうなんかおまえ」
 カエデは驚いたように私を見つめると、あとの二人にも視線を向けた。
「……できなくは、ないけど」
「包丁を使わずにタコを切り裂く人を料理ができるとは言わへん」
「おまえ、たこをてできりさくんか?!」
「もう四年前の二〇二〇年の年末のことやで?流石に今は」
「去年の大晦日はどうしたん?」
「……カップ麺を、食べた」
 膝の上のカエデの大きなお目目とお口が驚愕したようにどんどん大きく見開かれ、信じられないといった感情を小さな全身で大きく表現する。
「あかんわ、やっぱたんぱつのかえでにつくってもらうわ」
「短髪の楓って、そんな呼び方してるんや」
 カエデはするすると二十二歳のジブンのスカートを履いた脚をよじ登っていき、肩に乗った。
「重くないん、それ」
「おい!おんなのこにおもいっていうたらあかんで!」
「慣れたわ」
「慣れるんや、それ」
 いつの間にか二十二歳のジブンに対する忌避感や、恐れも消えていた。
「……二十二歳の私はさ、私のことどう思ってんの?」
 二十二歳のジブンがこちらを見つめなおす。そして、ゆっくりと口を開いた。
「もちろん、羨ましくはあるよ。でも、君は私の可能性だし、未来だし、なによりワタシを作ってくれたジブンだから」
 それは、ある種の鏡に向けて話していることの延長線上だったかもしれないけれど、今はジブンの拡張されたジブンであり、ジブンそのものなのだろう。
「ミュージックビデオにも出してもらったしね、二回も。そのうちの一つは白組のムービーだしね」
 歯を見せた笑顔を浮かべた二十二歳のジブンの顔を見て、彼女もまたジブンであることを感じる。あの笑顔は、写真に写っている自分がよく浮かべている笑顔そのものだった。
「わたしはさいきんでばんないけどな!」
「喉がね、ごめんて」
「ええで!けんこうだいいちや!でも、ぬいぐるみとかにはなりたいかも」
 カエデは二十二歳のジブンの肩の上でぴょんぴょん跳ねる。落ちやしないかと心配したが、どうやら長いポニーテールを命綱にしているようだった。
「ね、みんな思っていたよりも強かでしょう?」
 隣に腰掛けているジブンは、いつの間にかKANADEROのキービジュアル衣装から普段の制服姿になっていた。そして、私にマイクに差し出す。
「みんな強かなのは、樋口楓の踏ん張りがあるからだよ」
 私は制服姿のジブンからマイクを受け取ろうとして、しかし躊躇う。
「折り返し地点だと思っている。このムーブメントもいつまで続くかわからへん」
 だから、いつでもマイクを置けるように──
「でも、喉の手術をした。これから先のこともしっかりと見据えている、それも希望的に」
「……希望的に?」
「うん。だって、本当に今が折り返しだと思っていたら、手間やリスクのある手術をしないでしょう?」
「……わからない。ノーコメントで」
 制服姿のジブンはそれ以上の追求をしなかった。でも、その代わりに微笑みながら私により一層にマイクを近づけてきた。
 私はそのマイクを受け取る。すると、たちまち私が身に纏っている服は焦茶さんがメジャーデビューの際にデザインをしてくれた、アーティスト衣装に変化した。
 周囲の景色は両国国技館、無観客のライブハウス、ガーデンステージと目まぐるしく変化する。VR空間のライブ会場でも何度もライブをした。
 手袋をした手でマイクを握り締める。お腹に響くような楽器の演奏が聴こえてくるような気がした。眼前には光の海のようなサイリウムと観客。振り返ると、これまで関わってきた多くの人たち。今はにじさんじから離れていってしまったライバー、スタッフなどの関係者たちもみんな私の後ろに立っている。
「奏で続けろ、樋口楓」
これまでにじさんじにいた人と、これからにじさんじにやってくる人と。過去のバーチャルYouTuberと現代のバーチャルYouTuberと未来のバーチャルYouTuberを。全てを繋ぐために、にじさんじの歩みが尽きるまで、ずっと音楽を奏で続けるんだ。
 樋口楓よ、バーチャルYouTuberの生き証人となるのだ。